ヴィパッサナー瞑想合宿から帰ってきた。前回は体験した驚くべき効果について、紹介した。今回は、どのような瞑想をしていたのか?を紹介したいと思う(ややネタバレありなので、合宿に行くつもりの人で「先に実践する内容を知りたくない!」という人は読まないでください。)
瞑想を支える技術
まずは生活の中で守るべきルールが存在する。それも瞑想修行の中に含まれると考えたほうがいい。そのルールを守ることが瞑想の実践の効果を上げたり、阻害するのを防いでくれる。これらは、シーラと呼ばれる。シーラとはパーリー語で戒律の意味だ。まぁ、守ったほうがよい生活の中でのルールだ。ルールは8つある。
- 生き物を殺さない
- 嘘をつかない
- 盗みをしない
- みだらな性行為をしない
- 酒・麻薬を摂取しない
- 高価な寝具で寝ない
- 派手な装飾品を付けない
- 食事は正午までにすませる
このルールのうち、初心者は前半の5つを守ることを要求される。経験者は8つすべて守る。これらのルールは合宿中は守れるように運営されている。参加者が気をつけないといけないのは「生き物を殺さない」ぐらいである。虫も殺すことができないので、蚊やゴキブリは強敵だ。これらのルールは日常生活でも守ることによって、瞑想の効果を高めてくれる。合宿から帰ったあとも守ることを要求される。
完全なる沈黙
さて、合宿中はこれらを守りやすくするため、また他人の瞑想を邪魔しないために、最初の9日間は他者と話すことができない。完全に沈黙である。ジェスチャーやアイコンタクトも禁止である。完全に一人でいるかのように過ごすのである。これはなかなか厳しい条件なのであるが、人間関係を考えなくて良いので、瞑想に集中できる。嘘をつくこともできない。最初は完全に沈黙して生活できるのかと思ったが、案外なんとかなるもんだ。実際に体験してみて、とても自分の瞑想に集中できたと感じている。
自然と制御の間
実践的な瞑想は、まずは呼吸を使う。これによって集中力・観察力をあげるのだ。これにはアーナパーナ瞑想(アーナパーナサティ)と呼ばれている瞑想法を使う。呼吸を深くしたり、呼吸を数えたり、呼吸を整えたりする方法も瞑想法として紹介されることもあるが、アーナパーナは違う。アーナパーナでは自然な呼吸を観察するのだ。どれだけ強調しても難しいことではあるが真に「自然な」呼吸を、ただ「観察」するのである。これが案外難しい。「5秒吸って5秒吐く」のようなコントロールする瞑想は案外やりやすい。しかし、自然な呼吸を観察するだけというのは難しい。なぜなら、自然な呼吸を観察しようとすると、どうしても呼吸をコントロールしようとしてしまうからだ(ちなみに、僕が本当に呼吸を自然な状態で観測できたのは、合宿中にたったの3回だけだった。そこには呼吸だけしかなく、空気の流れが鮮明で、とても不思議な気分であった)
呼吸はどこから来るのか
呼吸を感じる方法には、難易度がある。まずは身体全体で呼吸を感じる方法だ。これは一番容易い。身体の動きは大きく、観察しやすいからだ。次に、鼻全体と唇の上だけで呼吸を感じる方法だ。鼻に通る息や、鼻から出た息を感じることができる。自然な息だけだとこれが案外難しい。風の感覚をつかむのに時間がかかる。人によっては温度に注目したほうが容易い。難しい場合は、自然な呼吸をあきらめて、意識的な強めの呼吸を使ってまず感じてみることが重要だ。最後に、一番難しいのは鼻と唇の間だけで呼吸を感じることである。鼻から出てくる空気しか変化はない。そうやってどんどんと難しい方法で瞑想を深めていく。集中力・観察力が育まれていくのがわかる。
感じているものすべて
また呼吸を感じると同時に、別の感覚も観察する。たとえば、かゆみや痺れなどである。まずは鼻全体に感じる。次に鼻と唇の間だけの感覚を観察する。これはやや難しく、最初は感覚を全く感じない人もいる。しかし、呼吸を使ったりしながら、感覚を感じることを学んでいくと、しだいにできるようになっていく。特に領域が小さくなればなるほど、そこに意識を集中しているのは難しいが、諦めないで欲しい。そうやって、呼吸に紐づく身体の感覚をつぶさに観察していくのが、アーナパーナ瞑想だ。これを日程の3分の1の時間を使って行う。
最大の勘所
呼吸に集中することができたら、やっとヴィパッサナー瞑想だ。ややもったいぶって出てくるわけなのだが、実はヴィパッサナー瞑想から始めるのはかなり難しい。呼吸という常に動いている対象物、そしてコントロールできる対象物を観察する感覚を得ていないと、ヴィパッサナー瞑想を実践することは不可能だ。このため十分に練習が終わった段階でその瞑想法が教えられる。
ありのままの感覚
ヴィパッサナーとは観察するの意味だ。身体に起こる感覚を「ありのまま」を見る。言葉で言うのは容易いが、実践は難しい。さて、どこの感覚を感じるのかというと、身体全体を意識を動かして、感じていく。まずは頭から始まり、身体のパーツごとに意識を向けて行き、つま先へ至る。その時に感じる感覚は、痛みやかゆみや痺れなどわかりやすい感覚もあるだろう。しかし、そういう身体の部分ばかりではない。最初は、なにも感覚を感じられない部分もある。そういうときは、温度や空気や服の感触を感じてみようとする。すると、案外と感覚があることに気づくのである。そうやって、全身の感覚を調べていく。
客観性という境地へ
ヴィパッサナー瞑想というと、体の感覚だけではなく、思考なども観察し、ラベル付して実況中継するような説明をされることもあるが、ここではそれは行わない。ひたすらに、身体の感覚だけを感じていくのだ。どちらかというと、ボディスキャンと呼ばれている瞑想法として知られていることが多いのではないかと思う。しかし、こちらがヴィパッサナー瞑想だというわけである。このあたりの呼び名はあまり気にしないことにしよう。とりあえず、この合宿中は身体の感覚をひたすら感じていくのだ。
界王拳への道
感覚が感じられるようになってきたら、逆順の練習もする。頭から始めてつま先に到達した後には、つま先から逆順をたどって感覚を探していく。感覚を自由に動かすことができるようになるための訓練である。その後は、パーツを大きくして同時に感覚を感じる練習をしたり、左右対称に感じてみたり、意識を流れるように感覚を感じていったりという訓練をする。これらは、一気に体全体の感覚を、同質に感じるようになるための訓練だ。また一方で、その時に感じてないところを知るために、感じてないところを探す訓練も行う。これらを交互に繰り返していく。
郷に入っては郷に従え
ヴィパッサナー瞑想は身体の感覚を詳細に見ていく瞑想法である。そのため、身体は基本的には動かすべきではないし、他の情報は入らないようにしたほうが良い。そのため、座っていて足が痛くなったときは動かす領域は最小限に抑える。また目は必ず瞑る。そして、できるだけ姿勢を良くする。これは、呼吸によって大きな身体感覚が作られないようにするためだろう(身体を丸めて呼吸してみて欲しい。お腹の圧迫した感覚が強く感じられるだろう。これは邪魔なのだ)。また姿勢を良くすると、呼吸が楽だったり、酸素を十分に取り入れるという効果もあるだろう。ちなみに合宿中では座り方の指示はない。楽な座り方をすれば良い。僕は、半跏趺坐で座っていた(途中で結跏趺坐を練習してみたが、難しすぎてあきらめた)。普通のあぐらの人が多かった(半跏趺坐や結跏趺坐は知ってないとやろうとは思わない。これだけは知ってから行ったほうがいいと思う。)
客観性を育む、理不尽な教え
この合宿の一番の難所が、4日目に告げられる「全員で行う1時間の瞑想時間では、完全に動いてはいけない」というルールである。これをアディッターナと呼ぶ。決意の時間だ。どれだけ足が痛かろうが動けないのである(もちろん破って罰せられることはないので、努力目標ではある。なにせ僕はまる2日ぐらいこのルールを破っている。しかし、経験して言うが、守ったほうが効果はいい。守ったからこそ得た効果もあったと実感している)。これは、痛みというものを冷静に観察する良い訓練になる。座っているときの痛みというものは、瞑想とはなんら関係ないように見えるが、これが実は良い瞑想の訓練になるのである。感覚を「ありのまま」見つめるということが、どういうことかを知ることになるのである。この説明は難しく、体感してみるのが良い。僕が真に理解し、実践ができ始めたのが8日目の朝からだった。理解していても、実践するのにそれぐらい時間がかかる(理解したのは6日目ぐらい。それまでは痛みと自分が同化していた)。しかし、実践できたときには、客観的に感覚を完全に「ありのまま」見つめるということが、理解できる。これを、本当に頭で理解するのはかなり難易度が高い。
愛はなぜ生まれるのか
最後の日に教えられるのが、慈悲瞑想だ。これは有名なもので、内容もよく知られているものと一緒であった。メッタの瞑想や、Love-Kindness Meditation( LK Meditation)などとも言われる。これはなかなか奇妙で、宗教っぽい祈りの瞑想法なのであるが、かなり効果があることが研究でわかっている。慈悲瞑想は、その名の通り、慈悲をもって幸せを願うという、ただそれだけの瞑想法である。実に怪しい。しかし、効果がある。
呪文としての慈悲
慈悲瞑想の文言は様々であるし、どんな文言であれ効果があることがわかっている。なので、好きな文言を使えば良い。長い文言は覚えられないだろうから、できるだけ簡単なものが良い。合宿で教えてもらったものを紹介しておこう(やや記憶が曖昧なので、正確かどうかは不明である)
- 私の苦しみや嫌悪、渇望がなくなりますように
- 私が幸せでありますように
- 生きとし生けるものすべてが、私が幸せになったことの恩恵を受けますように
- 生きとし生けるものすべてが、幸せでありますように
だいたいこんな感じである。もっと簡単に「私が幸せでありますように。生きとし生けるものすべてが、幸せでありますように」とかでも大丈夫だ。対象者を自分である「私」と他者である「生きとし生けるものすべて」に対して、幸せを願えば良い。あとは、それを支えるものである。他で紹介されているものだと、他者にさまざまな対象物を登場させたりする。たとえば「大切な人」「親しい人達」「嫌いな人」「全人類」などである。どのようなものでも、基本的には「私」と「生きとし生けるものすべて」は入っている。なので、この2つを覚えておけば、問題ない。願いもさまざまで、「夢や希望が叶いますように」のような文言を入れるケースもある。注意点としては、具体的な内容、例えば「5億円欲しい」みたいなのは入れてはいけない。
実践修行の法
さて、合宿中は瞑想三昧だったわけであるが、日常生活に戻ってきたらどうすればよいだろうか。このコースではちゃんと宿題が与えられる。
- 1日に朝・夜1時間づつのヴィパッサナー瞑想
- ヴィパッサナー瞑想後の15分の慈悲瞑想
- 寝る前と起きてから5分の身体の感覚チェック(ヴィパッサナー瞑想をやれば良い)
- ルールを8つ守る
- 日常生活でも感覚と呼吸の観察を忘れない
さて、正直厳しいだろう。二時間半は時間を確保しないといけない。しかし、前回の効果編でも書いたように、睡眠の質がグンッと上がるので、睡眠の時間を瞑想に当てることができる(すくなくとも現在は僕はそうしている)。また、瞑想による効果によって、ストレスなどを感じにくくなるのであれば、適当なストレス発散をするよりも瞑想をしていたほうが良い。上手く時間を作り、実践して行きたものだ。
沈黙のないルール
どちらかというと、8つのルールが厳しい人もいるだろう。おそらくそれは、酒と食事が正午までということだ。これは、夜ご飯を完全に諦めろ、と言っている。さて、どこまで守るかは、人次第だろう。僕が決めたことを紹介しよう。まず、酒はやめる。夜ご飯は、基本的には食べない。ただし、人と話したりするために食事を媒介とするときはその限りではない。またそのときはたくさんは食べない。というレベルで守ることにした。これが現実ラインだろうと思う。正午というのもわかりやすいだけで、意味はないと思うので、正確には気にしないことにしている。あとは、蚊とゴキブリだろう。これは出会ったときに考えることにした(実はあまり遭遇していない)。そういえば、生き物を殺さないというルールの中には、暗に「他人に生き物を殺すことを助長する行動をしない」が入っていると認識されている。だから瞑想修行者は、ヴェジタリアンとなり、合宿中は肉・魚のたぐいは出てこない(肉を食べると、誰かが動物を殺さないといけない)。しかし、これはかなり厳しいし、栄養学的にもかなり怪しい(僕にはここの論理を見つけることができなかった)。もし視野を広くして、全人類が瞑想の道を進むためには、必要だろうとは思う。しかし、市場に流通し、それが物あまり状態であるのであれば、僕は摂取しようと思っている(不足し始めたら、辞める)。なので僕は文字通りのルール「生き物を殺さない」を自分に当てはめて守ろうと思う。
未来への道と精神と時の部屋
帰ってきてから数日経つのだが、やはり日常生活に瞑想の時間をとるのは意識的にやらないと難しい。また合宿中よりも集中力がなくなっており、瞑想の感覚も変わっている。やはり、脳内でのおしゃべりはとても増えた。1時間の間ずっと瞑想状態にいるにはまだまだ修行が足りない(練習すると日常生活中に置いても、スーっと瞑想状態に入れるようになっていくそうである。これは脳波での測定でも観測されている。熟練者はθ波にガツンと一気に脳波が下がるのだ)。なので勧められているように、1年に1回は10日間コースをとったり、月末の週末などと決めてセルフリトリートを行ったりして、訓練を続けたいと思っている。それほど瞑想だけに集中している時間というのは大切なのだ。
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