PEAKを生きる

科学の力で、能力を最大化するブログ

中二病と瞑想と私 〜 「天才」になるための方法を探して

f:id:kasajei:20171004084527j:plain

 ヴィパッサナー瞑想合宿についての、あれやこれやを全7回にわたって紹介してきた。実感している絶大な効果や、瞑想実践についてはぜひ読んでみて欲しい。そして、どうしても怪しさが残る人は、怪しさの解説を読んでみて欲しい。それでも払拭されなければ、いくらでも僕に質問して欲しい。それでもダメなら、いっそのこと瞑想しよう。ジョン・カバット・ジンのCDを使うと、良いだろう。これはストレス低減法として、宗教色をなくした瞑想の実践である。もし機会があれば、一緒に瞑想しよう。

桶屋が儲かっている

 さて、今回はヴィパッサナー瞑想合宿の番外編として、僕がなぜここに至ることになってしまったのか(事故のようなものだ)、について紹介したい。傍から見たら、大人になってからの僕は、論理的で合理的でに見えるだろう。もちろん、それは正しい。だからこそ、なんで怪しい瞑想やヴィパッサナー瞑想合宿などに参加することになったのだろうか。

 もちろん瞑想の効果については、最近たくさんの学術的な研究がなされており、予想以上にポジティブな結果が出ている。またそれはビジネスシーンへも展開されており、グーグルで行われているサーチ・インサイド・ユアセルフIntel@Awakeなどが有名だろう。これらは、宗教色をなくすために、マインドフルネスという言葉を使い展開している。世界的なムーブメントになっており、世界各社が人材のパフォーマンスの底上げするためにマインドフルネスを利用し始めている。最近では日本でもそのようなブームが来はじめている。ヨガの流れもあるが、マインドフルネスからの影響も大きい。その流れに乗って、僕も興味を持ったと言うのは間違いない。これは能力を底上げするための、健康ブームとともにやってきた。

風はどこから吹いたのか

 しかし、僕がここまで瞑想に熱心な興味を持つことになったのは理由がある。ハッキリといってしまえば、中二病だ。もう少しマシな言い方をすれば、「立志」である。孔子が言っているように、だいたい15歳ぐらいに、なにかに取り憑かれたように思い立つのである。日本では、最近それを中二病と呼ぶ。

「田中さんがノーベル賞とったべさ」

 それほど記憶が明晰ではないのだが、僕が熱心に勉強をするようになり、大学で研究したいと思うようになった理由がある。僕は、漠然と「天才になりたい」と思っていた。ちびまる子ちゃんの「エジソンは偉い人〜♪」に影響されたのか、アインシュタインに影響されたのか、レオナルド・ダ・ビンチに影響されたのかは定かではない。まぁ冷静に思い出すと、実は僕が中二であった2002年というのは、ノーベル賞において史上初の日本人ダブル受賞の年であった。しかも、田中耕一というとても普通の名前の人が、京都(僕の地元だ)に本社をおく島津製作所という、なんともベタベタな日本企業っぽい名前の会社で、作業着を着て働いていていたにもかかわらず、突然世界的に偉大なノーベル賞を受賞してしまったのだ(スーツを着た、かっこいい名前の大学教授しか授与されないと思っていた)。世間は祭り状態だった。これほど科学に興味が注がれた時は無かったのではないだろうか(そしておそらく、田中耕一さんには親戚が増えた)。

「天才」から程遠い「凡人」

 このニュースをテレビで見ていて、こんな普通の人が「天才」であるということに驚いた。そして、失礼ながら「誰でも天才になれるのでは」と思った(だって、「田中」だぜ?)。とてつもない勘違いだ。それから幸運にも能天気な頭脳を持っていた僕は、「僕も天才になりたい」と思ったのである。本当に単純である。中二病の良いところは、この単純さにあるのだろう。それから勉強に励んだ(えらい!)。それまで、僕は普通の中学生だった。小学生の時から、それほど勉強ができる方ではなく、中の上ぐらいの、まぁよくいる普通の人だった。中学の成績は、オール3に近く、4がちらほらあるぐらいだった(理系科目は好きだった。数学や理科が4だっただろう。あと体育もそこそこできた)。

スーパーマリオの土管はどこ?

 「天才になろう」と思ってから、僕は「天才」になるための本を探しに行った。中二病っぽく、天才になるための秘密の技みたいなのがあるのだろうと直感していた。クリリンだって、気円斬を出せるんだし、普通の人間でも修行すれば天才になれるかもしれない。そうなるためには、ただ授業を受けて、ただお利口に勉強してるだけではダメだと思った。そもそもそんなにお利口ではなかったので、ショートカットみたいなものが欲しかった(僕はファミコンのスーパーマリオが好きだった。上に登れば土管があるんでしょう?クリアしたことはあるが、全コース回ったことはない)。そして、中学受験をしてエリートコースにのっていったメガネくんたちを、僕は抜かさないといけない(おかげさまで僕もいまではメガネをかけていて、仲間入りした)。そのためには、かめはめ波ぐらい打てないとダメだ。チャクラを練って螺旋丸でもいい。精神と時の部屋に入って、一気に駆け上がるのだ(ドラゴンボールZ世代です)。

小さな宇宙への旅

 僕の直感はなんとも幸運なことに、脳に興味を持っていた。あまりちゃんと覚えてないのだが、養老孟司(バカの壁が2003年に出版されている)や茂木健一郎などに興味を持ちはじめて、意識や脳に興味を持ったのも、この時代だろう(ちなみに川島教授による脳トレブームはもうちょい後の2005年〜)。まだまだ未知が多く、おもしろい領域だった脳に興味を持つのは自然だった。なんたって、天才になって、ノーベル賞を受賞するにはきっと問題が多く残っている方が取りやすいに違いない(ノーベル賞を受賞している、遺伝子の二重らせんを発見したクリックや免疫の利根川進も脳科学に進出していいる)。

あなたの利き脳は?

 そして、さらに幸運な事に、時代は右脳ブーム真っ盛り。書店では右脳や速読といった本が、今よりも多く並んでいた(今は科学的にキレイな本か、ゴッテゴテのスピリチュアルしかなく、その間ってのをあまり見なくなってしまった。悲しい)。このブームは、おそらくは大前研一が翻訳したあなたの右脳が全開するが原因だろう。大前さんが言うのなら、というバイアスもあっただろう(グッジョブ!)。当時の僕も、この本を読んだ。そして「全然、右脳を全開にする方法書いてないじゃないか!」と怒った(なのでこの本を買う必要はない)。中学生には、本代も馬鹿にならない。

 そして、僕は奇跡的な本の著者と出会う。それが、七田眞だ。彼の著作ブームも、2002年〜2003年で、僕の中二病にピッタリ。彼も、脳や意識、右脳といブームにのり、かなりの多くの著作を書いてた(ほとんど全部買った。凝り性なのだ)。今、理性的な頭で読むと、内容はぶっ飛んでいてかなりヤバイ部分が多い。しかし、それが中二病には大ヒットである。「これで気円斬まではいけるぞ」と確信したのである。

 本当にバカみたいな話であるが、偶然というものは恐ろしい。そして一番最初に買った七田眞の本のタイトルは「あなたの中の「天才」が目覚める」だ。これほど、僕にド直球な本はない。しかもサブタイトルが「七田式「波動&右脳」開発法」なのだ。パラパラとめくると、いろいろなトレーニング方法が書いてある。「これで僕も天才の仲間入りだ」。

修行とは一人でやるもの

 お恥ずかしい話であるが、ここに書いてあるトレーニング方法を盲目的に信じ、実践していた。だって、本に登場する「天才」の事例が、すごすぎるんですもの。この本には、七田式によって目覚めた天才の事例がのっている。彼らは、本を開かずとも一瞬で本の内容が読めるし、病気もイメージで治せたりする。ほかにも、気功の達人なども紹介されており、彼はピストルの軌道を見極めて避け、発砲者を遠当てして、投げ飛ばすことができるのだ(気功砲!!!)。「気円斬は欲張りすぎました。気功砲で十分です。お願いします、教えてください」といった気分である。書いてあるトレーニングを、ちょこちょこと実践していた。

 どんなトレーニングだったかというと、ほとんど瞑想に近いものだったのだ。右脳ブームにのっているので、イメージトレーニングという名前がついていたと思うが、瞑想という言葉も出てきていたと思う。僕がよくやっていたのは(そして本でも大切にされていたのは)、丹田呼吸法だ。呼吸に意識を注意を向け、8秒吸って、8秒止めて、8秒吐く。それを丹田を意識しながら行うのだ。ここまでは普通の呼吸法のトレーニングなのだが、ここからがすごい。まず吐く息から始めるのだが、体の中にある、不純物が足の裏から出ていくイメージを行う。そして吸うときには第三の目から、宇宙の偉大なる黄金のエネルギーが入ってきて、丹田に溜まっていくようにイメージする。そして息を止めて、体全体にそのエネルギーが行き渡るようにイメージする。そうすると、チャクラが活性化するのだ!!!光が見えてきたりもする!!!これは、簡単でどこでもできたので、中学でよくある、ありがたいのかありがたくないのかよくわからない話を聞いている時に、よくやっていた(もちろん、誰にも言ったことはないと思う。だって中二病すぎるもの)。

 他にも、手をこすり合わせて、ぼんやりとした感覚を作り、それをソフトフォーカス(視点を外す見方)で手を見て、オーラが見えるようになるトレーニング。手をあわせて、チャクラを練るトレーニング。頭の上に黄金のはちみつをイメージして、それを一気に体全体にかぶるイメージをするトレーニング。太陽をちょっとだけ見て残像を見るトレーニング。有名なオレンジカードもやったし、家から学校までの道順をイメージする記憶のトレーニングや、家の中をイメージするトレーニングもやった。中にはとてもまともなものもあって、自律訓練法なども行っていた(めっちゃ普通やん、これ!って思ってた。そしてこれはとても普通に有効な訓練法である)。あとは、般若心経を覚えたり(もう全部は言えない。マントラは覚えてる)、空海のマントラ(虚空蔵菩薩真言。いまだに覚えている)を唱えたりした。中二病ここに極まる、といった感じである。

超サイヤ人になれたのか

 期待させておいて申し訳ないが、気功砲は打てるようにはならなかった。「天才」になったかどうかも怪しい。まぁただ、いろいろな原因があって、一概にはこれ!とは言えないのだが、中二の後半ぐらいから、成績はオール5(体育か芸術は4になることもあった)に、突然ジャンプアップした。勉強が簡単になったとまでは言わない。だって、時間をかけてちゃんと勉強しないとテストでは点が取れなかった(おそらく。これは僕の心配症のせいで、十分に勉強しないと気がすまなかったのも影響しているだろう)。まだまだ僕のイメージする「天才」には程遠かった。それでも、自分なりの勉強の方法も確立し始めたのは、この頃からだった。自分のそれほど賢くもない頭を、どうやったらテストで点数がとれるようになるのかがわかってきた。また、テストが始まる前のシーンとしたタイミングでは、丹田呼吸法をしながら「全世界の知識よ集まれ」とかとイメージしていた(これも本に書いてあったと思う)。

 ちなみにこの奇妙な病気は、大学入試まで続き、大学入試のみんなが緊張している中で、僕はニヤニヤしながら丹田呼吸法を行い「全世界の知識よ集まれ」と宇宙の偉大なる黄金のエネルギーを、第三の目から注入していた。塾や予備校に通っていなかったから、頼るものといったら右脳のイメージパワーぐらいである。おかげさまで、第一志望にみごと合格した。もちろん、事前に合格するイメージもしてたし、素敵なキャンパスライフもイメージしていた。それはもう、自信満々だった(模試では、最後のギリギリまでD判定とかC判定とかの合格するかしないかのスレスレのラインだったと思う。決して、余裕があったわけではない。入試の点数も、合格者もちょうど真ん中ぐらいだった。入試も国語の記述欄を間違えるというミスもしている。めっちゃ消しゴムで消していたので、前の人には迷惑をかけた。そのことをその人に伝えたかは忘れたが、その人も合格しており仲良くなっている。ごめんよ)。

 さて時代は前後するが、たしか高校の時に出会ったのがルドルフ・シュタイナーだった。彼もまたいろいろヤバイ。そして、ちゃんとトレーニング法が書いてある本を出版している。いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかという本である。この本では、植物の種から成長していく過程をイメージするトレーニング法が書いてある。これを訓練していくことによって、超感覚的世界にアクセスでき、アカシック・レコードのような全知識にアクセスできるというものだ。高校時代も、ずっと脳・天才・意識などのワードとは一緒に過ごしていた。臨死体験バイノーラルにも興味あった。僕は理系だったが、みんなが専攻する物理ではなく、生物を専攻した。決して女の子が多かったからが理由ではない。あと、GetBackersというマンガも好きだった。スティグマやアカシック・レコード、クオリアなど、僕にとっては素敵な中二病ワードが満載だった。もしかしたら、一番好きなマンガかもしれない(あまり理解はされない。今でも好きだ。)。

理想と論理の対立

 そして大学はやっぱり脳科学が研究したかった。大学選びにまで、中二病は引っ張られている。今でこそ研究できる学部や学科は多いかもしれないが、当時は脳科学を直接研究できる学部は難しく、それほど多くはなかった。しかも脳科学は、分野をかなり横断しており、生物学だけではなく、心理学や行動経済学などの分野にも足を踏み込む必要があった(生物学だけの興味なら、医学部に行けばよかった。医学部では天才の研究はできない)。たまたま、家の近くに良い大学があり、そこを目指すことにした。中二病のために、親にたくさんお金をかけてもらってまで、行きたい大学・行ってもいい大学ってそんなに多くない(日本の製造業のために理学部・工学部に行く人は本当に偉い。僕は中二病のために大学を選んだってのに)。そして、ほんとに幸運なことに、総合人間学部というこれまた怪しい学部(だれがこの学部を好き好んで選ぶんだろう。本当に変人の集まりだったと思う)があって、その中に奇跡的に認知情報学というぴったりな名前の学部を見つけた。もう、ここ以外に行くべき大学・学部・学科はなかった。「全世界の知識よ集まれ」とイメージしたことで、もちろん合格した(さすがに、勉強以外に趣味がないぐらい勉強した。勉強せずに受かったみたいな人もいるが、僕は本当にちゃんと勉強した。「勉強なんかしてないで早く寝なさい」と怒られるぐらいには勉強をした。そして、このアドバイスは今では正しかったことがわかっている。ちゃんと寝ないと記憶に残らない。ありがとう)。

 大学に入ってからは、アカデミックな論理的・反証可能な世界と、僕の中二病の理想的な世界は、激しくバトルし、理想を打ち砕かれた。なんて、地道な世界なんだ、アカデミック。「脳と意識とは何か」「どうやったら天才になれるのか」なんて、あまり考える余地はない。考えていてもズルズルと現実世界に引き戻されていく。目の前の問題を、解けそうな実験手法で、地道に解いていく。そんなことをしていると、ちょっと飽きちゃって「よーし、数理モデルで脳をモデル化してやるぞ!そしたら全部わかるだろう」と勝手な思いつきをして、数学を勉強し始めたのである。そしたら、数学の深淵を覗いてしまって、どっぷりそちらの理想的な世界に引き込まれることになる(おかげで、ロジカルな思考が手に入ってとてもよかった。またこの時に、ちょっとニューラルネットワークをかじっていて、おかげさまで最近流行りのディープラーニングへの足がかりは得られていた)。

旅の終りは始まりへの道

 そこから紆余曲折が多くて、戻ってくるまでには中々の時間を要した(別に悪いことではない)。意識の片隅には、ずっと脳・天才・意識などはテーマとして考えていたのだが、それをしっかりと向き合う時間は取れていなかった。しかし幸運にも、IT企業に就職し、グーグルなどがマインドフルネスブームを巻き起こし、僕の興味を掘り起こしてくれた。そこからは、多くの本にも巡り会えたし、多くの実践にも巡り会えた。働いている会社が、いい感じに放任主義で自由で個を尊重してくれ、いい感じに給与も与えてくれ活動も支援してくれた(多くが本代に消えていった)。まぁ乱読だし、くだらない本もいっぱい買ったが、それでもたくさんの知識が繋がっていくのを感じた。栄養学ですら、脳・天才に繋がっている(だからこそ、興味があったのではあるが、ここまでバチッとくるとは思ってもいなかった)。

 そんなこんなで、出会ったのがヴィパッサナー瞑想合宿だった。1年ほど前からマインドフルネスの名の下に、瞑想は実践していた。そして、いろんなタイミングが重なって、今回ヴィパッサナー瞑想合宿に参加できることになった。ここまで来て思うと、七田眞のトレーニングもそれほど間違ってはいなかったんだろうと思う。ルドルフ・シュタイナーもしかりである。まだ、科学が追いついていなくて、評価するに値しないのが残念なだけだ(よくわからないことを頭ごなしに「非科学的だ」と批判する人は、科学のことをわかっていない。まだ範疇にない、もしくは対象外というのが正確だ)。とはいえ、やっぱりゴータマ・ブッダはすごい。僕もいろいろ試してみたが、ヴィパッサナー瞑想がおそらく最上級なのではないかと思うのである。ついに、「天才」への王道を見つけた気分である(行き着く先が、ノーベル賞などの「天才」かどうかには疑問は残る。一方で、これほど効果があったのも、初めての経験だ。これほど集中してトレーニングをしたのも初めてだが)。

我々は理性によって、進化している

 僕は脳の可能性がとても好きだ。そして、なぜこのような可能性がなぜ生まれるのかの解明が、科学的になされ始めてきている。まず注目すべきは、脳の可塑性だろう。脳は固定化されたものではなく、プラスティックようのにグニャグニャと動かそうと思えば、配線を組み直すことができる。そろそろホモ・サピエンスから、われわれはホモ・プラスティクスと呼んでいいものに進化していると言っていいかもしれないというラマチャンドランの意見に僕も賛成だ(進化論においてはラマルクは死に、ダーウィンだけが賞賛されているが、そろそろラマルクにも目を向け始めても良い。特に、脳に限って言えば、ダーウィンが邪魔し続けた悪影響も大きいと思う)。そして、しかもそれはアテンション(注意)によって、意図的に操作することができるのだ。凄まじい進化だと思う。まだ仮説にすぎない部分が多いのではあるが、この解明とその実践を僕は続けていきたいと思っている。

 ゴータマ・シッダールタは29歳で家を出て、修行を始めた。そして、孔子は30歳で「自立」すると言っている。現代風に言い直すと「15歳で中二病が発症し、それと向き合い自分なりの道を進み始めるのが30歳」ということであろう。長い道のりであった(この15年って結構長いよ!若い人は心してかかれ)。僕も、今29歳で、あと2ヶ月も経てば30歳になる。不思議な気分である。そして、不思議で奇妙なお話を書いたのであるが、若い人たちに言いたいことは「中二病を大切に!」である。さて、適当なことを言ってしまったが、これが僕と瞑想の関係である。そこには深淵なる中二病が横たわっている。スティーブ・ジョブズは上手いこと言っていて、コネクティング・ドッツってやつだ(ちなみにジョブズも中二病を発症し、居ても立ってもいられなくなり、インドまで瞑想修行に行っている。しかも起業したばかりのマーク・ザッカーバーグにまでその寺院をオススメするという、重症ぶりだ)。まぁ呼び方はいろいろあるけれども、いろんなことが一気につながるタイミングってのがあって、その時はとても楽しい。思いのまま生きていれば、こんなこともあるのである。ということで、いろんな出会いにありがとう!そしてみなさんも、お幸せに!